예수와 우리/강병송님의 글 모음

마모아미타불과 ...

주방보조 2008. 7. 8. 13:31
  • 번호 78059 | 2007.08.30 IP 221.158.***.153
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[4784] 資料:『世尊布施論』写真付き他 投稿者:ロシアチョコレ& #12540;ト 投稿日:2005/01/15(Sat) 20:15:32

RC:特に重要なのは、16世紀の日本には約300万人のキリシタンがいた事です。これは当時1400万の人口の約21%を占めているという推定(「全国キリシタン関係地名」姉崎正治教授)に基づいています。
『【隠された】十字架の国& #12539;日本 逆説の古代史』(ケン& #12539;ジョセフ シニア&ジュニア著、徳間書店、2000年)から貼り付けます。

(貼り付け開始)

112頁

 親鷲も読んだ景教の教典

 京都の西本願寺といえば、親鷲(ルビ:しんらん)(1173~1262年)が開いた浄土真宗の本山です。その宝物中には、親鷲も読んで学んだという『世尊布施論(ルビ:せそんふせろん)』があります。
 これは、じつは仏教の経典ではありません。
 中国で7世紀に、景教徒によって漢語に訳された景教の教典なのです。それが日本にも持ち込まれていたのです。この「世尊」はシャカではなく、イエスです。内容も、イエスの「山上の垂訓(ルビ:すいくん)」(マタイの福音書5~7章)に始まり、イエスの生涯、教え、基督教の救い等について述べています。たとえば、
「空の鳥を見よ。種まきもせず、刈り入れもしない。……あなたがたは食べ物や住まいのことで、心をわずらわせ過ぎてはならない。……求めよ。そうすれば与えられる。たたけ。そうすれば開かれる。誰でも求める者に神は与え、誰でもたたく者に彼は開くのだ」
 など、よく知られたイエスの教えもそこに書かれています。私は実際、西本願寺に行って、この『世尊布施論』について聞いたことがあります。寺の人に、
「景教の書物がこの寺に保管されていると、本で読んだのですけれども、それはありますか。見せてもらえないでしょうか」
 と聞きました。しかし、何人かに聞きましたけれども、「いいえ、そういうものはありません」と言う。
「でも、こうやって写真まで出ているじゃないですか」
 と、私が持っていた本を見せました。それでも
「知らない」と言います。そのうち、私がねばっていると、奥の方から責任者らしいおじいさんが出てきました。
「はい、たしかにあります」
 と言ってくれました。「でも、大切にしまわれているものですし、古くて傷みやすい状態なので、普通はお見せしていません」とのことでした。「でも、どうしてもと言われれば、お見せすることもしていますが、それを撮影した写真がありますから、普通はその写真を見ていただいています」と。
 それで、写真を見せていただきました。それは私の持っていった本のものと同じでした。こうして、西本願寺に景教の書物があるのは本当だと知ったのです。あの浄土真宗の開祖、親鷲が、これを何時間も読んで学んだということは、私にとっても感慨深いものでした。
 親鷲という人は、「称名念仏(ルビ:しょうみょうねんぶつ)」の信仰、つまり「南無阿弥陀仏(ルビ:なみあみだぶつ)」の念仏を広めた人です。「南無阿弥陀仏」とは、「私は阿弥陀仏に帰依(ルビ:きえ)します」「阿弥陀仏を信じます」というような意味です。
 阿弥陀仏の名前を心に念じ、唱えるなら救われるというものですが、こうした仏の“名を呼んだら救われる”という考えは、もともと原始仏教にはなかったものです。じつは“名を呼んだら救われる”という考えは、もともと基督教のものなのです。聖書に、
「主の御名を呼び求める者は誰でも救われる」(使徒の働き2& #12539;21)
 と記されています。基督教では、イエスの救いを信じて、その御名を呼び求める者は誰でも救われると教えるのです。また、阿弥陀信仰自体、原始仏教にはなかったものでした。仏教史学の権威アルティ博士は、
「阿弥陀仏の教義は…インドでつくられたものではない。中国仏教は、カシミ& #12540;ルやネパ& #12540;ルから伝来したもので、阿弥陀仏は、当時この地方に影響を与えたペルシャのゾロアスタ& #12540;教と、基督教に起因する」
 と述べています。アミダの名は、「無量光、無量寿」を意味するサンスクリット語「アミタ& #12540;バ& #12540;、アミタ& #12540;ユ& #12540;ス」から来たものです。アミダは「無量光、無量寿」、すなわち無限の光と永遠の命の仏と言われているわけですが、これは『ヨハネの福音書』1章5節の、「この方(キリスト)にいのちがあった。このいのちは人の光であった」
という聖書の言葉からとった思想であると、指摘されています。このように、親鷲の信じた「阿弥陀仏」は、いわば基督教思想を仏教に取り込んだものでした。
「行ない(修行)による救い」ではなく、「信仰(信心)による救い」を説いた親鷲の教えも、じつは、もとはといえば基督教から来ているのです。そのために親鷲は、景教の教典『世尊布施論』をも違和感なく読み、熱心に学ぶことができたのでしょう。
 かつて16世紀に、ドイツの宗教改革者ル& #12540;テル(ルタ& #12540;)は、聖書の「信仰義認」(人は信仰によって義と認められる)の真理を発見し、それを人& #12293;に説きました。彼は「行ないによる救い」ではなく、「信仰による救い」を説きました。宗教学者は、ドイツのル& #12540;テルと日本の親鷲を、よく比較して語ります。
 じつはル& #12540;テルが「信仰による救い」を説いてから数十年後のこと、フランシスコ& #12539;ザビエルが日本にやって来ました。ザビエルは、日本で浄土真宗の人& #12293;を見ました。そのときに彼は、浄土宣奈の教えがあまりにル& #12540;テルの教えに似ているので驚いたと、記録にあります。
 ちなみに、「大秦(ルビ:だいしん)景教流行中国碑」において、景教は「真宗」とも呼ばれています。これと、親鷲の開いた宗派が浄土「真宗」と呼ばれていることは偶然の一致でしょうか。それとも浄土「真宗」の名は、「真宗」と呼ばれた景教にならったものでしょうか。
 日本の仏教徒は、古くから景教の教典や、景教の教えに親しむことが少なくありませんでした。そのために古来、日本の仏教の伝説や書物の中には、景教に由来すると思われるものが少なからず混入しています。
 たとえば、冨山昌徳はその著『日本史の中の仏教と景教』の中で、仏教僧& #12539;法然(ルビ:ほうねん)(1133~1212年)の伝記と、聖書との関係を指摘しています。法然伝の根本資料となった古書(『夢感聖相記』)の中には、聖書のイエスの「山上の変貌」の記事(マタイの福音書17章)の内容が、同じ順序で転用されているというのです。そして詳しく解説しています。
 ちなみに法然の母は、秦氏でした。
 親鷲の先生が法然です。そして法然は、中国の僧& #12539;善導(ルビ:ぜんどう)(613~681年)の著作を通して信仰に入った人です。善導は、中国& #12539;唐の時代に浄土教を大成した僧侶でした。善導は「行ない(修行)による救い」ではなく、「阿弥陀仏への信仰による救い」を説いた人です。
 ところが、彼がそれを説き始めたのは、ちょうど景教徒たちが中国に来て「行ないによる救い」ではなく、「救い主イエスヘの信仰による救い」を熱心に説き始めたときでした。つまりここに、景教徒→善導→法然→親鷲という、一連のつながりを見ることができます。
 浄土教が非常に基督教に似ている、と言われる理由もここにあります。

http://snsi-j.jp/boards/past.cgi?room=undefine&mode=find&word=%C0%A4%C2%BA&cond=AND&view=15

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